安住模索

「社会を乗りこなしてゆくための方法を自分なりに模索し、授業形式で発信してゆく」をテーマにしております。

治療と自己破壊の境界線

 

どうも、晶也です。

 

 

大学卒業から3年間、治療期間という名のブランクを作ってしまっていることに対して視線を向けてしまうとすごくネガティブになってるなと自分で客観的に感じる今日この頃。

僕がその期間にしていたことと言えば……

 

1年目:「公務員の試験を受け直さなきゃ」と気が急いてしまい、予備校に通いながら病院に行って薬中心の治療をすることに…

が、3か月で頭が回らなくなり、鬱状態が悪化して予備校に行けなくなる。

それ以降は布団から出られなくなり、外出も病院に薬をもらいに行くくらいしかしなくなってしまった。

 

2年目:治療方針を薬中心からカウンセリング中心に変えるようにしようとドクターに提案をしたが、病院常駐のカウンセラーと自分が合わなかったので、カウンセリング療法中心の病院に転院する。

転院後、デイケアとカウンセリングと薬を併用した治療に切り替える。

同時に、運動してみようと決意しジムに行くも、ストイックにしすぎたストレスから食べ過ぎてしまい、かえって体重の増加に繋がってしまった。(コレについては後ほど)

 

3年目:デイケアを卒業して、期間アルバイトを始める。

アルバイトの任期が終了したとき、ドクターに相談してみたら若者の社会復帰自助グループを紹介され、行くことに。

行きながらプログラムに参加し、同時期に民間の就活セミナーや説明会に参加をするも、「説明会の空気に耐えるだけで精一杯の状態であること」が今の自分だとわかってしまった。

ので、2か月間フルタイムのアルバイトをして慣らすことにすることにし、面接を受けて任期までやり切る。

 

 という過ごし方でした。

 

個人的に3年目に入った辺りから、自分の意識が元通りに近い感じになりましたが、その時に思ったことは「みっともない今の自分を見られたくない」でした。

 

「大学を卒業したのに、働いてない。」

 

この一点だけのこと自分の中で呪いとしてジクジク蝕んでいってしまう錯覚を見せてしまっているのです。

 

こうして見かえしてみると、自分のジレンマに苦しんでるのはすぐにはどうしようもないですね。

 

もっと長く早く書けるようになりたいな・・・・・