安住模索

「社会を乗りこなしてゆくための方法を自分なりに模索し、授業形式で発信してゆく」をテーマにしております。

晶也さんはこんな人でした

 こんにちは、晶也です。

 

最初に作ったプロフィールを現在の状況しか作れていなかったなぁと思ったので、生い立ちを振り返ってみようと思い立ちました。

 

躁うつ病」「社会復帰中」以前の僕の情報が見たい方は、ぜひこのままご覧ください。

 

 

幼稚園から小学校卒業まで

1990年9月21日。福岡県の中で比較的田舎の方で僕は生まれました。

今の自分に覚えはあまりないのですが、幼稚園に上がるまでは大人とよくしゃべって人を喜ばせるのが得意なユニークな子供だったらしいです。

 

ただ、力が普通の子供よりなかったので幼稚園の同級生に「口だけ達者のいい子ぶりっこ」と言われることが多く、いじめのターゲットにされることが多くて集団生活になじめなくて一人で過ごしていたように思えます。

 

小学校に上がった際には、周囲になじめなかったことに加え「テストで百点を取らないと家から追い出される」ということが家で度々あったことで、塾に通いながら戦々恐々と勉強ばかりしていました。

 

この時に思ったことは、自分にとって楽しいことは、勉強で周りに目にモノを見せてやることだと思うことだった気がします。

逆に言えば、勉強以外に自分の価値は無いから絶対に失敗できないとしがみついてしまった瞬間でもありましたが。

 

自然体の自分を見失ってしまったのもこの頃だったような気もします。 

 

中学から大学まで

中学に進学した際、僕は運動もできればもういじめられなくなるんじゃないかと思い、サッカー部に入りました。

実際、入ってからは足が速くなってゆくのが嬉しくなり、勉強も上の中位の成績をキープできていたことからいじめられることも少なくなりました。

その辺りから、学校生活はものすごく充実させることができたように思えます。

 

この経験から僕は、

嫌なことでもできるようになる様頑張れば、自分の環境だって良くなる」

と、思うようになってしまっていました。

 

この勘違いが、自分を裏切ることになっていたことも知らずに…

 

高校に進学した際、自分は公立に落ちて私立に行きました。

 その時、中学までの自信を全部失って打ち砕かれたかのような感じになって何もする気が起こらなくなってしまいました。

 

周りの人が話しかけても、そっけない対応をしてしまいましたし、部活も入りませんでした。

高校時代の自分は、自分が失敗して落ち込んでいるのに周りの人たちがヘラヘラ笑っている状況に耐えられず、勉強だけに没頭しました。

 

勉強は、自分を裏切ったりしないし、知識を得て点数と順位が見えることが純粋に楽しかったので。

 

ただ、それでも学校の勉強についていくだけで精いっぱいだったので「大学に進学して公務員になる」以外には何も考えず、言われた時以外自発的に何かをすることもなく高校生活を終えました。

 

現役で大学生になり、「楽しく生活して、絶対に自分の目標を叶える」と考えていたのですが、「楽しく」の部分が見えなくなっていたことに気付かず、部活動も「将来に有利な武道系」を選んで入りました。

 

正直、大学の部活に対してもう少しフリーダムな感じを想像していましたが、

自分が所属していた部活はプライベートの分野やメールの文面まで込みでガッチガチに礼儀作法に厳しかったのです。

で、ここで私は何を血迷ったのか「これだけ厳しい環境にいれば自分はもっと成長できるんだ」という思考に陥ってしまったんですよね。

当時はアレでよかったと思ったけど、今思えばアホかと…(遠い目)

 

一応、3年間をその部活で過ごし抜き、引退しました。

 

部活、大学の授業、公務員講座と大学でできた友達と過ごした時はものすごく楽しかったように思えます。

 

 

これが、病気になるまでの僕です

 

では、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。