コップの作り方と中身の淹れ方
本日はようこそおいでくださいました。
初めましての方は、初めまして✨
アキラでございます。
さて、本日はタイトルにもある通り、
「コップの作り方と中身の淹れ方」
をテーマに話させていただきます。
……「どういう意味か分からない」という顔、ありがとうございます✨
先程の表現はあくまでたとえ話、
具体的に言うと………
「心のコップの作り方、中身の種類と淹れ方」
となります。
今回は、
「心の器の作り方」、「器に入れる中身の種類と淹れ方」の2つに分けて説明させていただきます。
ちなみに「ただの道徳の話」で終わるつもりはないですからご安心を✨
α:心の器の作り方
先ずは、「心の器」とは何かについての説明を
それは、人によって
「材質」
「大きさ」
「深さ」
その3要素によって形づくられています。
また、「心の器」は主に青年期までの価値観で形を成しています。
具体的には、
①親からの教育
②友人や他人との関わり
③書物や経験から学んだ情報
この3要素が主になります。
ここまで言えば、察しの良い方はもうお気づきになったでしょう✨
そう、①・②は受動的、③は自発的な要素になるのです。
ここまでで分かることは………恐らく以前にもお話した内容と被ってきますが、大切な事なので良く、ご覧になってください✨
それは、次の3点です。
「我々は、コミュニティの中で生きている」
「価値観は、コミュニティの影響を受ける」
「価値観は、自分で選択する事ができる」
2番目と3番目は、一見すると矛盾しているように見えるかも知れません。
ここでポイントとなるのが、先程説明した
「受動的要素」「自発的要素」の内、「自発的要素」に関わってきます。
また、③で「書物や経験」と説明したと思います。
それらは、
「受けた本人」が「どの様に感じられたか」を要素とするのではなく
「どのように最終的に感じたかったか」を要素としております✨
※アドラー心理学とも関わってくるのですが、ソコは別の記事での説明とさせていただきます。
例えば、「ある本を買う」行動1つにしても
「その本が私に与えてくれるモノを期待して買う」事を前提としたからだと判断できます。
その与えてくれるモノが、一般的に
小説や漫画なら、「ワクワク感」
実用書ならば、「新たな方法を知る好奇心」
専門書ならば、「深く掘り下げられた教え」
と言ったものでしょう。
………失礼、話が大分逸れてしまいましたね(笑)
以上のことから、結論として
結論α
「心の器の構成要素」は
①材質 → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の質
②大きさ → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の量
③深さ → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の掘り下げの深さ
となるのです。
※先程の逸れた内容は、実は無関係ではなく、
「知識のインプットする前の前提」
「コミュニティと関わった際の受け取り方のクセ」
を文章で説明したモノになります✨
β:器の中身の種類とその淹れ方
では、器を作った所で、次は中身を入れて行きましょう。
この時、中身は日本人ならば大人になった際の職業選択に関わってきます。
何故か………ですか?
それは、「中身」の正体が「生き方」という人によって
「透明度」も
「硬度」も
「形」も違う
不確かなモノでできているからです。
一例を挙げながら説明致しましょう。
まず、職業についてですが
①会社員
②公務員
③自営業・社長(雇われは会社員に含む)
④投資家
この4つに分けて考えます。
注意:ここからは、ちょっとした偏見やイメージも含まれますので不快に思われた方はブラウザバックしていただいて構いません。
「それでも良い」と言った心の広い方のみ、お進み下さい。
では、改めまして説明の方を始めさせていただきます。
αで作った器は、それぞれ社会に出て様々な方と関わって行くことになりますね。
この際に、主義主張のぶつかり合いや、競争も勿論あるでしょう。
その際に「ぶつかり合いに勝つ」為の要素として必要なものが
「心の器」→ 自分の知識や経験
「器に入れる中身」→ 自分の社会に出てからの価値観
なのです。
先程、私は①〜④に職業を大別しましたね?
何故、その様な事をする必要があったのか?
それは、①〜④の人間の思考回路が「全く違う」からです。
「えっ?」という顔、ありがとうございます✨
そして、「当たり前じゃないか」と思われた方、おめでとうございます✨✨
本質的な部分に踏み込んで、かつ噛み砕いた説明をしているのは、一般向けでは私を含めて極小数の方しか居ませんので、長年の疑問に決着をつけられるかと………
ex.1
そもそも、日本人において職業に所属している人の割合は一般認識として直感的に
① →6〜7割
② →3〜2割
③ →9分
④ →1分
と考えられています。
この割合は、何を意味しているか解りますか?
それは、
「価値観の浸透している状態」を示しているのです。
つまり、上記の説明ならば
7割の人がサラリーマンを選び、
2割の人が公務員を選び、
9分の人間が自営業や社長業を選び、
1分の人間が投資家を選ぶ
というコトになります。
次に考えるのは、「心の器」がどのように出来ているかという事です。
ex.2
x-①ガラスの材質でワイングラスのような薄い器の場合、中に入るのは当然「水やワインのような液体」です。
x-②鋳型(いがた)のような、硬くてある程度分厚い器なら、「熱した金属を入れても大丈夫」と一般的に考えます。
このex.2から私が言いたいことは、
「器と中身の相性がかみ合わないと、器が壊れます」というコトですね。
「そんなの当たり前じゃないか!」
本当に?
本当にわかってますか?
コレは、人間関係の相性にも関わってくるのです。
ポリエチレンケースがワイングラスに憧れても、ワイングラスにはなれない。
ただ、ポリエチレンケースにしか出来ないコト(フッ化水素酸の保管など)はワイングラスには出来ないコトでもあるのです。
※フッ化水素酸:ガラスに触れると腐食反応を起こして溶かす液体
ex.1、ex.2から私は、
x-α:
生き方(器の材質)そのものが違うのに、アドバイス(中身の原液)を鵜呑みにするコトに本当は意味がない。
x-β:
生き方(器の材質)のマッチした人と積極的に関わり、様々なアドバイス(中身の原液)を自分に合った方法(淹れ方)で吸収(ブレンド)していく事で自分の価値観(自分の器の中身)にしてゆくのが最も効率が良い自分の成長方法である。
これら2つの事が説明できます✨
以上から、結論として
結論β
「中身」の正体は「自分の社会に出てからの価値観」
「淹れ方」は「自分の成長ペース」と「自分の吸収スピード」に合わせて行うモノ
であると結論づけられます。
以上、コップの作り方と中身の淹れ方について
結論α
「心の器の構成要素」は
①材質 → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の質
②大きさ → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の量
③深さ → 青年期までのコミュニティとの関わり方+自分の知識の掘り下げの深さ
結論β
「中身」の正体は「自分の社会に出てからの価値観」
「淹れ方」は「自分の成長ペース」と「自分の吸収スピード」に合わせて行うモノ
を参考にして是非、行ってみてください。
闇雲に行うよりもハッキリ自分の輪郭が見えてくるでしょう✨
それでは、本日はこれまでと致します。
ご覧頂き、ありがとうございました✨
人生との戦い方講座:其の一(怠惰編)
本日も、ようこそいらっしゃいました。
初めましての方は、初めまして。
晶也です。
本日は「戦う方法」について発信して行きたいと思います。
「戦う? 何とでしょうか?」
そう考える方が多いと思います。
そうですねぇ………私がパッと思いつくのは…
イジメ、病気、災害、不自由、精神的怠惰、
両親、理不尽、世間の常識、………くらいですかね…
本日は、「精神的怠惰」との戦い方をレクチャーしましょう✨
より正確に言うなら、「付き合い方」ですが。
そもそも、怠惰とはなんでしょう?
「休みたい」
「何もしたくない」
「サボりたい」
「今やってることを放りだしたい」
「面倒くさい」
………………パッと思いつくだけでこれだけ出ますね。
この一例から私が何を言いたいかと言うと…
「怠惰」とは「性格」ではなく「状態」であると考えている、という事です。
そう考えるには、理由があります。
「性格」であれば「個性」の問題になりますので、生き方や性質の差がでますが………
「怠惰」を語る人の言葉が「休みたい」という願望から来ていると前提に置いた場合、差が
「休息の量」、「休む方法」
の2つしか差が無いことからカテゴリーとしては、
「休息の必要性を脳が発している状態」
にあたるのです。
「状態」であることを前提に置いて考えてみてください………
Q.1
「風邪」という「病気の状態」の時、貴方ならどうしますか?
Q.2
「ペットが死んだ」という「悲しみの状態」の時、貴方ならどうしますか?
さぁ、………少しの間考えてみてください。
考えたら画面を少しスクロールしてみてください………………
A.1
「人事(薬や休息)を尽くして天命(治癒状態)を待つ」
A.2
「感情の嵐が去るのを待つ」
一応、私なりの解答例です。
此方の解答に共通項があるのに気づいたでしょうか?
そう………「待つ」事です。
「最終的に必要な事」は、本当に………「待つ」ことなのです。
それと怠惰がどう関係するのかって?
「怠惰が過ぎる」まで「待つ」事?
これだけなら、50点です。
残りの50点は?
それは………「待つ方法」です。
ex.1では、「自発的」に「薬や休息」をとって「待つ」と説明しましたね?
ポイントは………
「自発的」
「方法」
「待つ」
の3つなのです。
具体的な例としては………
「学校のテスト勉強」ですね。
先生の授業が退屈で、テスト勉強めんどくさい………、でも悪い点は取りたくないなー…
と言うA君がいるとしましょう
A君は漫画を読むのが趣味で自分でも少しだけ絵を描く練習(教科書のラクガキ)もしています。
さて、A君に合った勉強方法はなんでしょう?
また、やる気を出す方法を答えてみてください。
では解答例をば………
まず、「先生の授業が退屈」ならば「自分で合った教材を本屋で探す」所から始めますね。(やる気を出す方法①)
「漫画が好き」なら「漫画アリの参考書」「挿絵アリ」の参考書を買うのが良いでしょう。(勉強方法①、やる気を出す方法②)
その参考書と、教科書と授業で使っているノートを読んだ時、A君はある事に気づくでしょう………
「ノートにその参考書のように挿絵を自分で描いて教科書風にしたら面白いかもしれない✨」(勉強方法②、やる気を出す方法③)
※ここから先は、先生に左右される要素ではありますが、先生が「肯定した」前提の話で
先生に提出したノートを褒められたA君は面白く、楽しくなり勉強に更に身が入ります。
そして迎えたテスト………A君は平均点を大きく上回る点数を取れました✨
いかがでしょう?
「怠惰」という要素がどこかに行ってしまったように見えませんか?
A君は相変わらず
「怠け癖のある漫画好きの若者」という前提は変わっていないのに………
それは、
α:「怠惰」という「状態」が「楽しい」という「感情」によって揺れ動いたように見えているから
β:「怠惰」という「状態」を「続けたい」為にA君が「自主的に行動を起こした」から
という2つの理由があるからです。
理由α、βから「怠惰の付き合い方」はわかりましたか?
先程、キーワードとして
「自主的」
「方法」
「待つ」
の3つを説明したと思います。
A君の例示で、
「自主的」「方法」
→「参考書を探す」
「ノートを自分流にアレンジしてみる」
「待つ」
→「テストで結果が出る」
「親がやり方を信じて口を出さなかった」
「先生が過程を褒めて、結果について口出ししなかった」
この例示の結果をまとめたものが、理由α、βなのです✨
外的要素については長くなるので別の機会に話すことにいたしましょう。
つまり、理由α、βより………
怠惰と付き合う為には………
結論
「自分が楽しい」と思うことを「義務感のある要素」に取り込んで「やってみる」こと。
それが一番良い
「精神的怠惰との付き合い方」
であると結論付けられます。
※もし、こんなのもあるよ!と言う方はコメントで是非どうぞ✨
本日はこれにて、
ご覧いただき、ありがとうございました✨
溺れながら泳ぎ続ける事
本日もようこそいらっしゃいました。
はじめましての方は初めまして✨
本日は、「溺れながら泳ぐ」方法について考察したいと思います。
ハイ、意味わからないって顔ありがとうございます✨
ブラウザ閉じるのは、あと少しお待ちを
先ずは、先程の表現は
「あくまでも比喩」
だとはお伝えしておきます。
先程の表現を直接的に言うと
「失敗しながら成功に向かって前進する方法」
となります。
しかして、その方法とは?
七転八起? 七転八倒?
どちらでも正解でございます✨
上記の場合は、
「倒れることは溺れることで、起きる事は泳ぐ事」の比喩と捉えてください。
では、本題に………
「溺れながら泳ぐ方法」
それは、「溺れない」事ではありません。
「立て直しと失敗の原因分析を同時に行うこと」
それこそが「泳ぎなおす」方法なのです。
同時に出来ない方は、むしろ立て直しを優先し、「失敗した」ということを理解して1人の時に分析し直すと良いでしょう。
「溺死しない事」を優先すべきですので✨
さて、なぜ「立て直し」を先に出したか?
そちらについても理由があります。
何故だと思います?
理由は2つあります。
①我々日本人は集団生活で生きている方が大半だから。
②「失敗した姿を見せる」事を隠そうと更に恥の上塗りをする行動を取る傾向が強いから。
の2つです。
※例外については別の日のコラムで解説しますのでその時までお待ちくださいませ✨
では、詳しく解説を
①我々は集団生活で生きている
はい、言うまでもないですね。
※集団生活に関しましては、
「なぜ自分を変えるのが安上がりなのか」の理由のβに解説がありますので此方を参考になさってください。
「読むのが面倒ですアキラさん!」な方の為に要約すると、
①家族 →両親、兄弟姉妹、親戚
②学校 →友達、先輩、後輩
③会社 →上司、同僚、部下
④新しい家族 →パートナー、息子、娘、パートナーの親戚
と言った「コミュニティ」が私たちの生活している社会の中にあると説明しています。
さて、その前提を踏まえた上での質問です✨
「コミュニティの中」で「どれだけの割合で自分を出して」生きていますか?
60%? それは上々✨
30%? もう少し出しても良いと思いますよ?
10%? ストレス溜まっていませんか?
100%? ハッキリ言って厄介者と思われますよ?
今聞いたのは、集団生活における貴方の傾向です。
70%以上79以下でコミュニティリーダータイプ
69%〜41%がコミュニティに属する事に安心するタイプ
40〜21%が取り巻きタイプ
20%以下は、そもそもコミュニティに属さない方が安心できるタイプ
ちなみに80%以上なら………コミュニティを最終的に破壊するタイプ(ワンマンタイプ)
になりますな。
ちなみに私は14%でした。
ここまでの結論をαとしておきます。
②失敗を隠して恥の上塗り
はい、次に此方の説明になります。
日本人は
「恥」、「外聞」、「噂」、「形式」、「伝統」
を中心とする民族傾向にあると言われています。
この事を前提①とします。
次に、「失敗」を我々はどう捉えるかと考えます。
失敗は成功の母?
二度あることは三度ある?
ことわざだけなら、そうですよね。
そう、「ことわざだけ」なら
聞いているのは、
「我々」が「どう捉えるか」ですからね。
ここで、前提①に注目してください。
「恥」
「外聞」
「噂」
「形式」
「伝統」
此方の5つに今の説明と「失敗をした」事についての反応を加えるとどうなるでしょう?
一例をお見せしましょう。
ex.1
「恥」 +「失敗した」
=やっちゃった! 恥ずかしい!
「外聞」+「失敗した」
=失敗した人って言われる!怖い!
「噂」 +「失敗した」
=周りからいつまでも言われる! 嫌だ!
「形式」+「失敗した」
=決められた事すら出来ない!ダメな奴!
「伝統」+「失敗した」
=違う事をした! 伝統に背いた!
此方のex.1は、
「立て直し方を知らない日本人」
が考える一般的な思考パターンになります。
では、次に
「立て直し方を知っている日本人」
「立ち直り方に慣れている日本人」
の思考パターンの一例をお見せしましょう。
ex.2
「恥」 +「失敗した」
= この方法は間違っていたんだなー、よし正しいやり方を聞こう!
「外聞」+「失敗した」
= そうか、この人は正しいやり方を知っているな?更に詳しく教えてもらおう!
「噂」 +「失敗した」
= 今は大丈夫さ!やり方を聞いているから!
「形式」+「失敗した」
= 今のやり方じゃ通用しない、それなら形式そのものが間違ってるのかもしれない。
「伝統」+「失敗した」
= その伝統の本質に背かない方向性の方法で効率重視にすれば、時間のムダにならないぞ!
ex.2は、私の考え方を一例にしてみました。
実際の所、そう考えると楽になりますし、プラスにしていこうと捉えられますしね✨
ex.2を見て、ex.1に振り返ってみてください。
ex.1は、「負の感情の増幅」
ex.2は、「正の感情の増幅」
になっているように見えませんか?
えっ?見えない? そんなの現実逃避じゃないかって?
ex.1をよく読んでみてください。
「問題に直面し」て
「戸惑って恐れている感情」が見えませんか?
ex.2をよく読んでみてください。
「問題に直面した」上で
「立て直そうとしている意思」が見えませんか?
では、続きを………
ex.1の人は次に何をするでしょう?
6割方の読者ならわかると思いますが………
そう、「失敗をなかったことにする」です。
※4割の方は恐らく、「報告する」と答えたと思いますが………もし他の答えがあればコメントで是非、教えてください。
具体的には?
「隠ぺいする」
「内々で処理する」
「自分だけで解決する」の3つになります。
3番目がベストなんですが………ex.1の人にそんな余裕はありません………
ですので、「隠ぺい」を選択する人が多いのです。
それはチャンスを奪うばかりではなく、更なる悪化をもたらします。
「失敗だと気づけない」
↓
「歳を重ねる」
↓
「知っているハズの異常な事で恥をかく」
と言った形で。
つまり、この事から何を言いたいかと言うと
結論β
「溺れ方を知らないままだと溺死する」
が
「溺れて直ぐに立て直せば軽い怪我で済む」
のです。
以上、結論α、βを踏まえて、
「失敗しながら成功に向かって前進する方法」
↓
「立て直しと失敗の原因分析を同時に行う」
となるのです。
本日はこれにて、
ご覧いただき、ありがとうございました。
なぜ、自分を変える方が安上がりなのか
ようこそいらっしゃいました。
本日は、「過去と他人は変えられない」をテーマに語ります。
タイトルにもある通り、結論は
「自分を変える方が安上がり」
になっちゃうんですがねー
えっ? そんなの当たり前だろう、わかりきってるコトを言うな?
本当に?
自分の過程が間違っていない…と?
わかりました!
では、その結論に至るまでの解説を致しましょう!
手短に2つの理由にまとめた上で✨
α:過去
まず、「過去」
コレは既に「起きてしまった」が故に「過去」となる為、変えられません。
例えば、
①「おねしょした」
②「痛々しい黒歴史をノートやブログに書いた」
③「ぼっちで過ごした学生生活」
は、事実として残り、「一生」消える事はないのです。
ハイ、覚えのある方は目をそらしてはいけませーん。
覚えの無い方はそのままで✨
肝心なのはここからです✨
気づきましたか?
経験のある人から見ると①~③は、あくまで「事実」として残っているだけで
「恥ずかしい」とか「つらい」という感情面の反応は
「事実」を「自分が認識した」
から起こっている事に………
具体的には、
ex.1
①おねしょしちゃった → そんな事実はあってたまるか!
②黒歴史ノート → ヤバイ、焼き捨てなきゃ!
③ぼっちで過ごした → 何の為の学生生活だったんだ…
みたいな反応をする人も居れば
ex.2
①おねしょしちゃった → 子供の時はよくある事だし、オトナになれば笑えるさ。
②黒歴史ノート → コレ、小説の設定に活かせるんじゃないか?
③ぼっちで過ごした → たくさん本が読めて好きな事に時間を費やせてサイコー!
みたいな反応をする方も居るわけです。
この具体例から言える結論は、
「過去は事実として変えられないが、自分の認識は解釈次第でいくらでも変えられる余地がある。」
↓
結論α
「過去は変えられないが自分の認識は変えられる」
となるわけです。
β:他人
………ハイ、生きる上で一番厄介な事項
「他人」にクローズアップしたいと思います。
ここで言う「他人」は
「自分以外の全ての人間」
を「他人」として扱います。
※もちろん、友達、パートナー、自分の父母兄妹、親類縁者、自分の子供もです✨
冷たいなぁ………って?
事実ですもの✨
前置きはそこまでにして本題に…戻りましょう!
人間社会は、一般的に
①家族の間に生まれ、
②学校に入学し、
③会社に就職し、
④結婚して新しい家族をつくる
………と言ったプロセスをとりますね?
さて、問題です。
このプロセスに共通するモノはなんでしょう?
答:コミュニティ
そう、いわゆる「共同体」。
共同体と我々は切っても切れない関係にあるわけです。
具体的には、
①家族 →両親、兄弟姉妹、親戚
②学校 →友達、先輩、後輩
③会社 →上司、同僚、部下
④新しい家族 →パートナー、息子、娘、パートナーの親戚
と少なくとも関わって生きているわけです。
ところで、皆さん
①~④の中で少しでも影響を「受けなかった」人は居ますか?
そんな人は居ない!と?
その通り、いないのです。
なぜそんな質問をしたと思います?
再確認してもらう為です。
「コミュニティ」の持つ「影響力」について
①において基礎的価値観を作られる。
②において同世代の価値観を作る。
③において世代間の価値観の差を認識する。
その3つが④における「自己の価値観」の素になっているのです。
以上を理解した際、「他人」の「厄介な点」がわかると思います。
それは、
「依存者(他人)」もしくは「集団心理(コミュニティ)」に「流された」時、それがそのまま「自己の価値観」と思い込んでしまう
点です。
………掘り下げはここまでにして、本題に戻りましょう。
この中で言いたいことは
「他人」とは言わば「大海」であり、
「自分」とはそこに浮かぶ「一隻の小舟」である
という事です。
「海を割る」よりも
「舟を動かす方法を覚えて舟を動かす」方が楽ですし、より短い時間で済みますよね?
「他人を変える」→「海を割る」
「自分を変える」→「船の操縦方法を覚えて動かす」
と言い換えるとわかりやすいと思います。
以上より、
結論β
「他人という海を乗りこなすために操舵技術を鍛える方がラク」
という結論に至るわけです。
以上、
結論α
「過去は変えられないが自分の認識は変えられる」
結論β
「他人という海を乗りこなすために操舵技術を鍛える方がラク」
この2点から、
「過去と他人は変えられない」
↓
「自分を変える方がラク」
という結論に達するのです。
本日はこれにて、
ご覧いただき、ありがとうございました。
晶也さんはこんな人でした
こんにちは、晶也です。
最初に作ったプロフィールを現在の状況しか作れていなかったなぁと思ったので、生い立ちを振り返ってみようと思い立ちました。
「躁うつ病」「社会復帰中」以前の僕の情報が見たい方は、ぜひこのままご覧ください。
幼稚園から小学校卒業まで
1990年9月21日。福岡県の中で比較的田舎の方で僕は生まれました。
今の自分に覚えはあまりないのですが、幼稚園に上がるまでは大人とよくしゃべって人を喜ばせるのが得意なユニークな子供だったらしいです。
ただ、力が普通の子供よりなかったので幼稚園の同級生に「口だけ達者のいい子ぶりっこ」と言われることが多く、いじめのターゲットにされることが多くて集団生活になじめなくて一人で過ごしていたように思えます。
小学校に上がった際には、周囲になじめなかったことに加え「テストで百点を取らないと家から追い出される」ということが家で度々あったことで、塾に通いながら戦々恐々と勉強ばかりしていました。
この時に思ったことは、自分にとって楽しいことは、勉強で周りに目にモノを見せてやることだと思うことだった気がします。
逆に言えば、勉強以外に自分の価値は無いから絶対に失敗できないとしがみついてしまった瞬間でもありましたが。
自然体の自分を見失ってしまったのもこの頃だったような気もします。
中学から大学まで
中学に進学した際、僕は運動もできればもういじめられなくなるんじゃないかと思い、サッカー部に入りました。
実際、入ってからは足が速くなってゆくのが嬉しくなり、勉強も上の中位の成績をキープできていたことからいじめられることも少なくなりました。
その辺りから、学校生活はものすごく充実させることができたように思えます。
この経験から僕は、
「嫌なことでもできるようになる様頑張れば、自分の環境だって良くなる」
と、思うようになってしまっていました。
この勘違いが、自分を裏切ることになっていたことも知らずに…
高校に進学した際、自分は公立に落ちて私立に行きました。
その時、中学までの自信を全部失って打ち砕かれたかのような感じになって何もする気が起こらなくなってしまいました。
周りの人が話しかけても、そっけない対応をしてしまいましたし、部活も入りませんでした。
高校時代の自分は、自分が失敗して落ち込んでいるのに周りの人たちがヘラヘラ笑っている状況に耐えられず、勉強だけに没頭しました。
勉強は、自分を裏切ったりしないし、知識を得て点数と順位が見えることが純粋に楽しかったので。
ただ、それでも学校の勉強についていくだけで精いっぱいだったので「大学に進学して公務員になる」以外には何も考えず、言われた時以外自発的に何かをすることもなく高校生活を終えました。
現役で大学生になり、「楽しく生活して、絶対に自分の目標を叶える」と考えていたのですが、「楽しく」の部分が見えなくなっていたことに気付かず、部活動も「将来に有利な武道系」を選んで入りました。
正直、大学の部活に対してもう少しフリーダムな感じを想像していましたが、
自分が所属していた部活はプライベートの分野やメールの文面まで込みでガッチガチに礼儀作法に厳しかったのです。
で、ここで私は何を血迷ったのか「これだけ厳しい環境にいれば自分はもっと成長できるんだ」という思考に陥ってしまったんですよね。
当時はアレでよかったと思ったけど、今思えばアホかと…(遠い目)
一応、3年間をその部活で過ごし抜き、引退しました。
部活、大学の授業、公務員講座と大学でできた友達と過ごした時はものすごく楽しかったように思えます。
これが、病気になるまでの僕です
では、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
治療と自己破壊の境界線
どうも、晶也です。
大学卒業から3年間、治療期間という名のブランクを作ってしまっていることに対して視線を向けてしまうとすごくネガティブになってるなと自分で客観的に感じる今日この頃。
僕がその期間にしていたことと言えば……
1年目:「公務員の試験を受け直さなきゃ」と気が急いてしまい、予備校に通いながら病院に行って薬中心の治療をすることに…
が、3か月で頭が回らなくなり、鬱状態が悪化して予備校に行けなくなる。
それ以降は布団から出られなくなり、外出も病院に薬をもらいに行くくらいしかしなくなってしまった。
2年目:治療方針を薬中心からカウンセリング中心に変えるようにしようとドクターに提案をしたが、病院常駐のカウンセラーと自分が合わなかったので、カウンセリング療法中心の病院に転院する。
転院後、デイケアとカウンセリングと薬を併用した治療に切り替える。
同時に、運動してみようと決意しジムに行くも、ストイックにしすぎたストレスから食べ過ぎてしまい、かえって体重の増加に繋がってしまった。(コレについては後ほど)
3年目:デイケアを卒業して、期間アルバイトを始める。
アルバイトの任期が終了したとき、ドクターに相談してみたら若者の社会復帰自助グループを紹介され、行くことに。
行きながらプログラムに参加し、同時期に民間の就活セミナーや説明会に参加をするも、「説明会の空気に耐えるだけで精一杯の状態であること」が今の自分だとわかってしまった。
ので、2か月間フルタイムのアルバイトをして慣らすことにすることにし、面接を受けて任期までやり切る。
という過ごし方でした。
個人的に3年目に入った辺りから、自分の意識が元通りに近い感じになりましたが、その時に思ったことは「みっともない今の自分を見られたくない」でした。
「大学を卒業したのに、働いてない。」
この一点だけのこと自分の中で呪いとしてジクジク蝕んでいってしまう錯覚を見せてしまっているのです。
こうして見かえしてみると、自分のジレンマに苦しんでるのはすぐにはどうしようもないですね。
もっと長く早く書けるようになりたいな・・・・・
初めましてのご案内
はじめまして、晶也といいます
今回は初投稿ということもあり、軽い自己紹介とブログの方針をざっくりと書こうと思います。
僕の自己紹介に関しては、「躁うつ病&社会復帰中」という情報以上のことが知りたい方はお付き合いくださいませm(-_-)m
病気になった経緯
大学4年生になり研究室に配属した際に、公務員試験の受験のための筆記試験勉強、面接練習を同時にやっていた
↓
その年の5月、面接練習の終わりに急に気分が高揚して、漢方で面接までは対処していたが、6月に入って漢方でも制御が利かなくなる
↓
その年の8月、急に背筋がぞわっとした感覚に陥り手が震えだし、筆記試験の問題文すら頭に入らなくなる
↓
ここでおかしいと思い、大学に常設されている学生カウンセラーのところへ行く
↓
学生カウンセラーの担当が精神科の先生だった為、そのまま受診することに
↓
↓
卒業後、実家に戻り療養
↓
それから3年間費やし
現在、月に一度通院中(セニラン2㎎:頓服)
と、言う所です。
ざっくばらんに言うなれば、「学生時代に発症して以来療養しつつ自分に最良の生き方を模索している人」という認識であってます
ブログの方針
正直、3年間浦島太郎状態の今の自分に対して何が向いているか何をしたらよいのか全然わかっていません。
が、「時間は何もしなくても過ぎて行ってしまうということだけ」は嫌というほどに知ってしまっているので、僕の療養生活期間の経験や情報を発信する練習のつもりでこのブログをはじめました。
まだまだ、拙い文章が目立つかもしれませんが無理のないペースで上達と更新をしていければと思います。
では、今回はこれにて。
どうぞこれからよろしくお願いいたします。