コラム其の1:誰かを愛するコト
本日は当店に、ようこそいらっしゃいました。
初めての方は、初めまして
当店のバーテンダーをさせて頂いております。
晶也でございます。
突然ですが、貴方は
「愛とは何か?」
と思ったことはありますか?
何故、いきなりこのような話題を?と貴方はお思いかもしれませんが、簡単なコトです。
良く、貴方は両親や恋人、娘さんや息子さんから「愛している」と言われる事はあると思います。
ですが、「愛の正体」について上手く説明できる方は少ないのではないでしょうか?
今回、私が自分なりに考察した「愛の正体」についてお話しさせていただきます。
結論を先に申し上げるならば、
「愛とは受容」
この一言に集約されていると考えております。
では、本日のメニュー………
「受容のススメ」
ご覧になられてください。
本日は要点を3つにまとめてお話しさせていただきます。
α:受容について
では、まずはこちらから………
貴方は、「受容」という言葉についてどのように思われますか?
字面通り、「容器で受ける」という表現を用いているように見えますね✨
正確な辞書の意味は、
「受け入れて、取り込む」
なのです。
取り込む………中々見ない表現ですね………✨
いうなれば、「自分のものにする」「同化する」、といった意味合いになります
たとえば、自分が、何かを学びたいと思うとします。
例として「合気道」をお出ししましょう。※私がやっていたからです。
合気道を学ぶ上で必要なことは、
「礼節」「受けの姿勢」「コミュニケーション力」「先輩との付き合い」「技の精度」「基礎を疎かにしないこと」の6つになります。(一応まだありますが割愛で)
さて、この中で「自分にとって必要なこと」は何でしょう?
言ってる意味がわからない?
前者は①「学ぶ上で必要なこと」、今の質問は②「自分にとって必要なこと」ですね。
このことを踏まえたうえでこの違いは、何だと思いますか?
私は、①の中で選択したものが②であると考えております。
具体的には、6つの中で
「礼節」「受けの姿勢」「基礎を疎かにしないこと」が必要であると考えるAさん
「先輩との付き合い」「技の精度」「受けの姿勢」が必要であると考えるBさん
といった形で違いは現れております。
この説明から言いたいことは、
Aさんは「礼節」「受けの姿勢」「基本を疎かにしないこと」を
Bさんは「先輩との付き合い」「受けの姿勢」「技の精度」を
それぞれ「合気道で必要なこと」から「選択」して「受容」しているといえるのではないか、ということです。
結論α
受容とは自ら受け入れ、自分のものとすることであり、受容の対象は自分の意思で選択できる。
β:愛(i)を解体してみれば………
では、次は愛について……
貴方は、愛についてどのように考えていますか?
愛情、親愛、恋愛、友愛、愛憎、虚数(i)………
このような言葉でしか辞書では例として挙げられているだけで、本質的な部分はわからないままなのではないでしょうか?
では、少しだけ上記の言葉を分解してみましょう
愛情=愛する感情
親愛=親しい者に対して向ける愛
恋愛=恋と愛
友愛=友人に対する愛
愛憎=愛と憎しみ虚数(i)=二乗するとゼロを超えない実数になる数の事、「現実には存在しない」数
ex. (i)^2= -1
ぶっちゃけ最後のはおまけであり、また「重要なポイント」でもあります。
あなたにはわかりますか?
それは、「現実に存在しない」が「概念として存在している」点です。
実際、「愛」という名の物質はありませんし「感情」は目に見えるものではありません
それは、態度として現れるものであり、「態度そのもの」はあくまで「態度でしかない」からです。
言ってる意味がよくわかっておらず、「キョトン?」としている方のために例示で説明いたしましょう。
ex.1
パートナーにDVを行うAさん(27歳)の心理
このケースの場合は、パートナーが「自分から離れていかない」という信頼を置いているから暴力を振るうわけです。
いうなれば、「信頼している」とい感情を「暴力」という幼児性の高い態度で発露しているわけですね。
また、この「態度」が「自分の愛情表現」とAさんは信じています。
ex.2
母親に手料理を作るBさん(13歳)の心理
このケースの場合、Bさんは母親に「喜んでほしい」「いつも世話になっているお返しがしたい」「負担を軽くしてあげたい」という正よりの感情が主になっていると言えるでしょう。(負の側面もありますが、今は割愛…訊きたい方はコメントにどうぞ)
その起点である「母親が好きである」と言った感情を「料理を作る」といった態度で表していると言えますね。
こちらは「態度」を「愛情表現」とまだ自覚できていないケースですが、立派な「愛情表現」ですね。
また、ex.1のケースではAさんは
「自分のことが嫌い」である可能性が高く、
「自分の弱さを受け入れられない」から「さらに弱い者に暴力を振るう」といった悪循環に落ちいているように感じます。
この事から、Aさんは「パートナーを愛している」のではなく
「自分を愛せないから他人に自分を愛するよう強制して安心感を得ようとしている」
と言う結論がex.1の中から導き出せますね。
また、ex.2においてBさんは「自分の得意な分野」で母親を「喜ばせたい」と考えた上での行動であると先ほど述べました。
これは、Bさんは「自分の得意な分野=料理」であることを認め、「受けいれている」ことを前提としているからです。
この2つのケースから、
「愛は、自らを受け入れることが基点となっている」
ことが言えるでしょう。(ほかにも例は用意しておりますが、長くなりすぎてしまうので別の記事で取り扱います。)
結論β
愛とは自らを受け入れることから始まるものである。
γ:「誰かを愛する」
最後に、「誰かを愛する」ということはどういうことなのか……
結論α、結論βにおいて
結論α:受容とは自ら受け入れ、自分のものとすることであり、受容の対象は自分の意思で選択できる。
結論β:愛とは自らを受け入れることから始まるものである。
と、述べました。
これらを踏まえて、考察すると……
①自らを愛せる者は良い点も、悪い点も受け入れられる者にしか成せない。
②他者を愛するのは、自らを愛せる者にしか成せない。
①は、自分の「好きな部分」も「嫌いな部分」も
「そのまま自分を構成する要素のひとつ」であるのだから、「その性質がある」ことを自覚するのが良いでしょう。と言う意味で、
②は①を踏まえたうえで、相手の「自分が良いと思った部分」を「認め」「それ以外」は「路傍の石」程度に「考える」くらいで「基本的な付き合い」は「うまくいく」と言う意味です。
他者を愛するということは「恋愛」だけを指しているわけではありません。
「関わりを持つ」為には相手の「一部を受け入れ、認める」ことが前提として必要となっているでしょう。
その、「受け入れる一部」は自分で選択してみても良いのではないでしょうか?
人間の基本は「良いところもあるが欠点もあること」であると私は考えます。
自分が関わる人を選べないのであれば、「美点を探す眼鏡」を身に着けるのもひとつの手段ですよ♪
結論γ
誰かを愛するスタートは自分なりの相手の良いところを1つ、見つけて受け入れてみることから始める。
以上より、長くなりましたが
結論α:受容とは自ら受け入れ、自分のものとすることであり、受容の対象は自分の意思で選択できる。
結論β:愛とは自らを受け入れることから始まるものである。
結論γ:誰かを愛するスタートは自分なりの相手の良いところを1つ、見つけて受け入れてみることから始める。
以上の3つの結論が導き出されました。
この3つの結論から、
「愛とは受容である」
といえます。
本日は、少し長くなってしまいましたが貴方様の貴重なお時間の息抜きになっていれば幸いです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
貴方様のまたのご来店を、心よりお待ちしております。。。